2012年1月24日

チェルノブイリ原子力発電所事故

1986年、4月26日、現ウクライナ(当時の旧ソビエト連合)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で大規模な爆発がありました。事故発生時、4号炉では動作試験が行われていました。原子炉が緊急停止した時の備えについての実験中だったとのことです。しかし、責任者の不適切な対応や、炉の特性による予期せぬ事態の発生により、不安定な状態から暴走に至り、最終的に爆発炎上しました。周囲は黒々とした煙に覆われ、燃えさかる炎の中、作業員は賢明に復旧作業を続けましたが、炎は止まることなく周囲を焼き尽くし、また同時に大量の放射線物質をまき散らしました。

 

当時、ソ連政府は周辺住民のパニックや機密漏洩を恐れこの事故を公表しませんでした。そのため数日間、周辺住民らは事実を知らず通常の生活を送り、高線量の方や性物質を浴び被爆しました。
しかし、事故の翌日、スウェーデンで高線量の放射性物質が検出され、放射性物質の大量流出を隠しきれなくなった政府は、事故から2日後に事実を認め、事故が世界中に発覚しました。
ちなみにその時に放出した放射線物質は広島に落とされた原子爆弾の約400倍だといわれています。

 

事故によりチェルノブイリ周辺は高濃度の放射性物質で汚染され居住が不可能になり、政府は原発から半径30キロ圏内を立ち入り禁止区域に指定し、約16万人の住民たちが強制的に移住させられました。

 

その後政府は大量の作業員を集め、4号炉を「石棺」と呼ばれるコンクリートの建造物に封じ込めました。彼らは煙等からの放射線被ばくがどれくらい危険であるか知らされておらず、効果的な保護具は利用できませんでした。そのためほとんどが大量の放射線を浴び、その亡くなりました。生き残った少数の作業員たちは今でも深刻な後遺症に悩まされています。

 

チェルノブイリ発電所事故(Wikipedia)